心の格闘

2010年1月8日
自分にはいつも心の中に兄貴が居る
兄貴は私が産まれる前に亡くなった
兄貴は産まれた時から病気で、余命も伝えられるほどの難病だった
余命は2年と知らされた
両親は健康に育ってほしいという事で健一という名前を授けた
余命2年と知らされたが結果3年生きた
(私は父親と生まれつき確執を持っており仲が悪い
未だに確執が続いていて、一生仲が悪いままだと思っている
決して仲良くつもりもないし、縁を切りたいほどである)
母は言う、あの子は真面目だった、でも真面目すぎだからもし元気に育ったとしても苦労する、と
()内には私だけが父親と確執を持ってると思われがちだが実は母が父に確執を持ってた
原因は自己中・亭主関白
あまりにも身勝手で裏表の激しいな性格だったから
ましてや男尊女卑という持ち主で、異性の弱点をついては馬鹿にする人だった。
そして家系自体、犯罪を犯してるも同然の一家
祖父は祖母が交際を断ったにも関わらず、「付き合わなかったら家に火を付けるぞ?」と脅した
父の兄弟には借金作り金貸したにも関わらず返さない
おまけに父を含めた兄弟揃って思考や言動が基地外
勿論、母も付き合いを拒絶したが父はカメレオンの様な人間で母の両親の前では良さそうに見せるが居ないと母の両親を馬鹿にする、とんでもないクズだった。
そんな人だから喧嘩は毎日続いてた
今はわからない
別居はしてるがそこまで仲悪そうにみえないし
だからこそ私は苛立つ
年月や自身の切り替えもあるのだろうが、決して許されるものではない。
話を戻すが、そういう父親が居るから、この子が普通に育っても上手くいかないだろう
喧嘩が絶えなかっただろう、と母は言ってた

兄貴が亡くなってからその後、私が無事産まれ何も異常がなく健康に育った
しかし、父親とは仲悪く、父のあらゆる面でストレスを溜め後にうつ病になった
そして今も険悪な状態が続く
自分は出来損ないで人を傷つける
性格も物静かで自分から語ろうとしない
母親のような思った事をすぐ口に出す人物ではない
言えるなら母親似の兄貴だけだった
だからこそ思う、私なんかが生きるより兄貴が生きてた方が親戚とも家族も社会とも上手くやりくりできたんじゃないかと。
本当に兄貴が亡くなって私が生きてる事を憎む。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索